こんにちはJAYです。
今回はアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に行ってきた体験記を書きます。
ナチスドイツが残した残酷な負の遺産。
100万人が虐殺されたと言われる場所に行ってきました。
・アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の行き方、1日プラン
・アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へ行く前にやっておくべき事
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所とは

ヒトラーを党首としたナチスドイツが、ドイツ国内の政治犯(ナチスへ反対する者たち)や、ユダヤ人、同性愛者、精神異常者、ジプシーを強制的に収容し、大量虐殺を行った収容所です。
第二次世界大戦後、当時のドイツはハイパーインフレで貧困化が進んでいました。
そんな中ヒトラーが台頭、アーリア人至上主義を掲げ、民族の清浄化を行いました。
収容が決まった方々はドイツやその他の地域から、ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所まで、電車ですし詰め状態で送還され、その途中でも暑さや寒さで命を落とす方もたくさんいたそうです。
収監された後は毒ガスや、銃殺、撲殺、首つりなど様々な方法で、100万人もの罪のない方々の命が奪われたそうです。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の行き方
ワルシャワ~クラクフ
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へは、ポーランドのクラクフからバス1時間半かけていきます。
クラクフまではポーランドの首都ワルシャワから電車で約3時間です。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に行くには、クラクフで2泊がおススメです。
バスの乗り方
アウシュヴィッツへは下記のKrakow Glownyというバスターミナルからバスに乗ります。

チケット売り場がすぐに見つけられると思います。
ここで、1日前にはチケットを買っておくことをおススメします。
片道チケットは10-12 PLN (ポーランドズウォッティ) = 約300円
途中でいくつかの駅に停車するので、1時間半を要します。
20人乗りほどの小さなバスですので、早く並んで席を確保することをおススメします。
私たちが行ったときは、G7の乗り場から乗車。

アウシュビッツ~クラクフ中央駅、帰りは大型バスで余裕をもって座れました。
アウシュビッツのバス停は、係員にKrakow Glownyに行きたいと聞けばすぐに分かります。
公式ツアーには参加すべき?
答えは、間違いなく参加すべきです。
特に、公式ホームページから申し込める、1日勉強ツアー(6時間)への参加をおススメします。
公式ツアーのメリット
・現地でしか聞けない、生の話を体験できる
・公式ツアー限定の施設(当時のまま残された収容施設など)へ入場可能

私が案内をしていただいたスタッフの方は、祖父がナチスに土地を奪われたそうです。
現地の人にしか話せない歴史もあるので、ツアーへの参加を強くおススメします。
チケット料金 =110 PLN/人 = 約3,000円
公式ツアーの所要時間
09;00~12:00 アウシュビッツ強制収容所ツアー
12:30~15:00 ビルケナウ強制収容所ツアー
間に30分ほど自由休憩をはさみました。
休憩時間は短いので、さっと食べられるサンドイッチなどの持参をおススメします。
番外編:日本語ツアーへの参加
上記したツアーは英語なので、日本語の場合は公式ホームページからメールで問い合わせをしてください。
日程に限りはありますが、中谷さんという現地に住まれている公式スタッフの方のツアーにも参加可能です。
一日のスケジュール
07:00 バスでKrakow Glownyを出発
08:20 アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に到着
08:45 列に並んだ後、セキュリティチェック
09:00 アウシュビッツ強制収容所ツアー開始
12:00 休憩
12:30 ビルケナウ強制収容所ツアー開始
15:00 ツアー終了/解散
15:30 バスでクラクフへ
17:30 少し混んでいたので、2時間でKrakow Glownyへ到着
18:30 市内散策
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に行く前に
強制収容所に行く前には、歴史の背景を知っておく必要があります。
私は、Netflixでナチスの共犯者たち、というシリーズを見て背景を勉強しました。
👉リンク
歴史の知識を事前に知っておくことで、建物の見え方や、ツアーで学ぶことへの感情など大きな違いがあると思います。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の写真
入口

逆光で少し見えにくいですが、 「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」 という看板が掲げられています。
収容者たちは、虐殺されることを知らず、ここには働く場所があり、働いて自由になれるという考えを刷り込まれていたそうです。
子供が描いた絵

人間が柵の中に入れられ苦しむ姿、鳥が電線を触ってしまい横たわっている姿が描かれいます。
子供もこの地の残酷さを感じていたと思うと、胸が痛くなりました。
収容者の遺品
鞄には名前が書かれています
収容された方の遺品が数多くあります。
全財産を鞄に詰めたが、その財産もナチスに奪われたそうです。
衣類と当時の写真
収監された方は、先ず番号の付いた服と番号の入れ墨を掘られたそうです。
収監された日からは名前でなく、番号で身元を識別されました。
収容所の環境は劣悪で、やせ細った方々の写真がそれを物語っています。
寝室
この狭い寝室にすし詰め状態で人が収容されていたそう。
収容された方々は、休みの日は布団のダニやシラミを取る事に時間を使っていたそうです。
いかに劣悪な環境だったかが想像できます。
公式ツアーでしか入館できない棟
アウシュヴィッツ強制収容所にはたくさんの棟があります。
この棟だけは過去の状態のまま保管されているので、公式ツアーでしか入ることができません。

この棟だけは、ほかの場所とは全く違う空気が漂っていました。
電子鉄線
建屋の外は全て電子鉄線で囲われています。
最高10,000ボルト(日本の家庭で流れている電気の100倍)の電流が流れていたそう。
監視塔
電子鉄線の外にも監視塔があり、脱走することはほぼ不可能だったそうです。
強制収容所への道
アウシュビッツ第二収容所と言われる、ビルケナウ収容所の鉄道引込線です
この列車に収容され、ビルケナウ収容所に連れてこれらた方々は
到着すると人体実験に使われる方、奴隷として仕事をさせられる方、すぐにガス室に連れていかれる方などの選定が行われました。
焼却炉とガス室
焼却炉 ガス室 取り壊されたガス室
ここで多くの方が、有毒ガスによって殺戮されました。
敗戦後、ナチスはこの証拠を消すためにできる限りのガス室を爆破したそうです。
他にも集団絞首台、死の壁などがありました。
あまりにも悲しすぎて、写真は撮りませんでした。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に行ってみて
こんなことが過去に起きていたとは、本当に信じられませんでした。
ナチスのプロパガンダによって洗脳された一般市民が、最終的にはナチスの犠牲になり、殺戮の加害者にもなりました。
この悲しい歴史を消すために、この収容所は閉鎖されてもよかったかもしれません。
しかし、それが今も保存され、たくさんの人がこの地を訪れ、考えさせられています。
“私がこの歴史ツアーガイドをしていない状況を何度願ったことか。
しかし、この事実を皆さんに伝えて同じ悲劇が二度と起こらないように努めたい。”
案内していただいたツアーガイドの方が語った一言が深く印象に残りました。
個人的に変えられることは少ないかもしれませんが、こんな歴史を繰り返さないことが私たちの使命だと強く感じました。
旅行を計画されている方で、もっと詳しい情報が必要な方は、遠慮なくツイッターにてDMをしてください。👉@Jaychannel_
それでは良い一日を!
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